退職ブログ!本日4/30をもって17年間勤めた会社を辞めました~仲間たちよ!ありがとう!そしてさようなら!~

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退職ブログ!本日4/30をもって17年間勤めた会社を辞めました~仲間たちよ!ありがとう!そしてさようなら!~ いざ実行へ!
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わたしは、本日、2020年4月30日を持ちまして、新卒入社から17年間勤めた会社を退職いたしました。

これが、ブログを始めて69記事目!

これまでは、役に立つこととか、PV伸ばしたいとか少しは考えて書いてきたけど。。

今回だけは違います!

ただただ、書き残したいことだけを書きます!

でも明日からは、またちゃんとした記事を書きます。本日だけお付き合い下さい。

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17年間勤めた会社とキャリア

大手証券会社のシステム開発子会社。

親会社のシステム開発だけを行う会社。

職種はシステムエンジニア、いわゆるSE。

だけど、キャリア終盤はエンジニアじゃないですね。。

入社から退職までのキャリアを簡単に。。

・17年前~新人から2年目まで~

新卒入社、駆け出しSEとしてプログラミング、設計に従事

・3年目から6年目

初めて超大型プロジェクト、十数億規模に参画。

1チームのリーダーを任される。

そこからリーダー業務歴任。

・7年目~11年目

親会社である大手証券会社に出向。

営業本部で、営業店をサポートする業務。

営業企画を推進する業務を担当。

この時期はSEではなくなる。

・12年目~17年目

世間一般でいう課長の役職。

上と合わずにストレスを抱える。

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入社から退職までをじっくり振り返る~17年の歩み~

入社の経緯

都内の中堅私立大学に通う4年生の春。

なんとなく就活開始。

やりたいことも特になく、自己分析、業界研究なんてもちろんやらず。

なんとなくSE?なんとなくコンサル?

なんとなく大企業?

っていう状態で有名企業をひたすら回る。

マイクロソフト、IBM、アクセンチュア、日立製作所・・・

もちろん、全滅。。

しかも集団面接で、意識高い高学歴集団に圧倒される。

内定ゼロのまま、GWを超える。

さすがに大企業、有名企業は諦めることに。

そこからどうやって今の会社にたどり着いたのか記憶がない。

ただ、OB面談、役員面接、の2回しかなかった気が。

この会社を選んだ理由は単純明快。

この会社からしか内定をもらえなかったから。

若手SEとしての下積み時代~新人、2年目~

入社して会社の寮に入った。

毎日同期や先輩達と酒盛りをしてすごく楽しかった。

仕事は、初めはプログラミング。

分からない人もいると思うけど、JCL、COBOL。

「仕事下さい」が口癖だったので、常時4案件くらいは掛け持ち。

無意味に自分を追い込んでいた。

その時の目標は、「とにかく早くプログラミングをやめる!」

2年目くらいから設計とか案件リーダーにシフト。

リーダークラスの人と課長にプログラミング卒業を懇願。

あっさり認められる。

そこからは、後輩やパートナー会社の上に立って案件を推進。

3年目の大きな転機~大規模プロジェクトを企画~

ここで大きな転機が訪れる。

親会社の合併により、システム統合プロジェクトに参画。

それ自体は、まあ忙しくはあったけど。

特に問題なく完了。

その後、さらに大きな仕事に挑戦することに。

合併によって、足りないシステムが判明。

外国証券や為替の残高を管理するシステム。

これを企画段階から担当することに。

毎日のようにユーザー部署20名を集めて業務ヒアリング。

海外の現地法人(証券会社)や海外市場を含めた、注文や決済の流れを整理。

知らないことばかり、課題だらけで、どこまでシステム化するかに頭を悩ます日々。

当時の部長と共に、なんとか100ページほどの企画書に整理。

まずは、親会社のシステム部の担当課長と何度かすり合わせ。

そして、いよいよ運命の日が。

親会社のシステム部、ユーザ部の部長、担当役員向けにプレゼン。

もちろんわたしが説明。いざ、本番!説明開始後30分経過。。

そこで、システム本部長、常務が・・・

「分かった分かった、もういいよ・・・!」

正直終わったと思った。でも逆の結果だった。

「お前の気持ちはもう十分分かった。OK、やれ!」

その後、喫煙所で、部長と役員にこう言われた。

「今年のトップセールスは間違いなくお前だ!」

会社員人生で一番うれしかった。

そこから、2年かけてそのシステムを開発してなんとか納品。

途中何度か死にかけた・・・入院もした。。

リーダーSE時代、課長補佐~5、6年目~

5年目、6年目くらいは正直たるんでた。。

担当するシステムは、証券会社の発注系システム。

最重要システムなので、トラブルは起こせないし、ある程度は緊張感持って対応。

でも、それまでさんざんトラブル起こしてきたから、ある程度ノウハウがあった。

1年半くらい、リリースによるトラブルはゼロ。

課長も完全に私を信頼していたし。

さらに、わたしもメンバーたちを信頼。

相談に来た時だけ一緒に考えて、最終成果物だけチェックするだけ。

この時から、メンバーと昼夜逆転とまではいかないけど、リズムを逆にするように。

メンバーはある程度遅くまで仕事をして朝ギリギリに来る。

なので私は、彼らがくる前の7時くらいには出社して成果物をチェック。

相談のメールを返信。

メンバーは出社後、わたし待ちの状態がゼロになるよう心掛けた。

親会社出向時代~7~11年目~

ある時、役員に呼び出しがかかる。もうなんとなく嫌な予感はしてたけど・・・

「親会社に出向して。で、出向は断る権利ないから。だいたい1年半くらいかな」

ということで、親会社の営業本部。営業企画部門に出向することに。

着任日のことは今でも鮮明に覚えている。

所属する子会社の部長と役員と共に、朝6:30に出社して挨拶回り。

営業企画部長、営業本部長、副社長。

営業本部長は、朝から、当時の築地(?)で買ってきた寿司を食べていた。

カップヌードルを食べながら・・・とんでもないところに来た予感がした。

挨拶回りが終わった時、一緒に回ってくれた役員がボソッとつぶやいた。。

「今月の仕事はもう終わり・・・」

出向時代の後半は、システム化を絡めた営業企画の仕事もしたけど。

前半は、システム関係ない仕事をしていた。

ほとんど転職みたいなもの。

環境も全然違う。

この時、人生で初めて「丸の内サラリーマン」ってやつを経験!

この時代、正直、直属の上司は厳しかった。

そしてちょっと変人。

ぶっちゃけ嫌われもん。

仕事の要求がレベルが高くて、くらいついていくのに必死だった。

営業企画部署といっても、わたしみたいな若手、かつ営業経験なしのSEごときは、企画業務なんてできない。

というか、企画業務なんてやってるのは課長以上。

下っ端は、上から言われたことを企画書に纏める。

何百万、何千万という顧客の購買データを分析して、根拠データ・レポートを作る。

あとは、企画を進めていくときに、必ず、関連部署への根回しが必要になる。

商品部、監査部、コンプラ部門、事務部門、広告審査部、システム部・・・打合せのセッティング、資料の準備、担当レベルでの事前調整が私の仕事。

最終意思決定の会議は、下っ端じゃ通用しないので、課長に同席してもらって説得してもらう。

この期間、会社員人生で一番モーレツに仕事してたかも。

最近朝活が流行ってるみたいだけど、古いんだよ!って感じ。。

当時、わたしは毎朝4:30起床、5:10の始発に乗り、6:00出勤。

証券会社の営業本部の朝は早い。

といってもわたしが一番乗り。

毎日オフィスの明かりを付けていた。

そして、6:00~9:00までの3時間が毎日の勝負タイム!

この時間で必ず、成果物を1つ作っていた。

そして、課長が出社して少し落ち着いたのを見計らって突撃!

撃沈しても全く問題ない。

だって、まだ丸一日あるから。

午後リベンジ。

夕方リベンジ。

で、その日にやること、というよりも、常に前倒し前倒しで、仕事をしてたのがこの頃。。

でもしんどかった・・・

出向の後半は、営業システムをリニューアルするプロジェクトが始まって、ユーザ部署の立場で参画。

営業店に足を運んで意見を聞いたり。

プロジェクトの終盤ではシステム研修の講師をやったり。

その仕事をなんとか終えて、約5年の出向期間が終了。

予定の2年を超大幅に延長して。。

ようやく戦場を退くことに、めでたく退官。。

SE管理職時代~12~17年目~

5年の刑期を終えて、システム子会社に戻ってきました。

オツトメご苦労と言うことで、課長クラスのポストに就任。

この時代、約6年の前半は、もう楽でしょうがなかった。

もうほとんど仕事してなかったかも。

メンバー10名くらいのリーダーだったけど。

助さん角さんじゃないけど、右腕と左腕に、優秀な中堅社員を据えて。

ほとんど、寝てたというか、メンバーと雑談。

数億単位の大規模プロジェクトは少しだけ手伝ってたけど、まあほとんど口出しせず。

ちょっとやばい局面だけお手伝い。

上司、部長にも恵まれ。

一切口出しされず。

さらに、メンバーの異動などは必ず相談があり、わたしの意見を基本的には受け入れてくれる。

「将来は部長を任せたい」と散々言われ。

その気になっていた。

でも、毎日、大してやることがないので酒を飲みまくってた。

体を壊した。

膵炎になって3週間ほど入院。

取締役、執行役員、部長、部下全員がお見舞いにきてくれた。

で、管理職時代の後半がしんどかった。

退職前の2年間くらい。

この時、会社の役職の中でも一番上になった。

管理職のさらに上、上級管理職、みたいな。

ぶっちゃけ「早く部長にしてくれよ」って思ってた。

お金がほしいとかそんなんじゃなく。

少なくとも、部内30人くらいを最適な布陣に整える構想を持ってたし。

部内ルールでなんとかできる範囲で、みんなが仕事しやすくできるアイデアをいくつか持っていた。

でも、順番は回ってこなかった。

さらに、その時の部長がめんどくさかった。

うざかった。

ルール至上主義。

会議大好き人間。

資料は紙で持ってこい。

おれはメールは見ない。

バブル就職世代の典型例!

極めつけがこれ!

定期面談で、部下達から言われた不満を全部自分の手帳にメモ。

そして、なんと私との面談で!

わたしに向かって読み上げる始末・・・

正直、ほとんど無視してやった。

会社もたまに休んだ。

このあたりから退職に向かって歩み始めた。

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退職までの4か月の経緯

2019年の年末から会社に一度も行っていない。

退職するまでの4か月間。

初めは体調が悪いと言い休んでいた。

休み初めの序盤は本当につらかった。

毎日酒を飲みまくっていた。

12時間飲み、12時間寝る。

そんな生活。

意識が正常である状態を一切作らないようにしていた。

上司から電話がきまくる。

会社の人間が家に訪ねてくる。

全部無視した。

携帯の音もバイブを消した。

そして、飲んで、寝た。

10日間以上休んだところで、診断書を持ってこいと言われた。

会社の人事部に診療内科を予約してもらい、受診。

「適応障害」と診断された。

同時に「うつ病」まではいってないとも。

そこから有休と保存休暇を全て消化。

勤続17年なので、保存休暇がMAXの50日貯まっていた。

全部使った。

でも、医者の診断を受けてからは、会社からの連絡もなくなった。

酒も減らした。

このブログを2月中旬に始めた。

もう復帰する気は全くなかったので、キリのいい3月末にやめようと思い。

3月下旬に会社に申し出た。

と言っても、もう自分から連絡する気も起きず。

会社の同僚に「言っておいて」と飲みながら、軽い気持ちで話したところ。

人事部長に伝えてくれて、退職する運びとなった。

そして、手続きがいくつかあると言うことで、4月末、本日退職することとなった。

なお、わたしの役職で、自ら会社を辞めた人は、見たことがない。。

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退職した理由

一番の理由。

同じ会社、同じ仕事、同じ人、特に上。

17年間・・・正直飽きた。

ふとした瞬間に、凄く怖くなった。

定年まであと25年、この会社に人生を捧げることに。

じゃあ自分で、何か副業でもやろうと思ったけど。

副業禁止の会社だった。

まあばれることはないけど、、特に収入が少ないうちは絶対に。

なんか気持ちの踏ん切りがつかなかった。

退職金のことは全く考えなかったけど、貯金はさすがに把握している。

生活するだけなら、2、3年は生きていける貯えがある。

実際、退職金加えれば5年くらいは。

初めの1年くらいは全く稼げなくてもいいかな。

くらいの気持ちで、何かに挑戦したいと思った。

はい、このブログはもちろんまだ収益ゼロ・・・

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退職して得たもの

「辞めれる」「変えれる」「人生やり直せる」という実感

会社は辞めされてくれないと思い込んでいた。

でも、意外とあっさり辞めることができた。

そう、、法律で決まってる。

雇用契約は、労働者からの申し出があれば解約できる権利がある。

そんなことも知らなかった。

17年拘束され続けた「会社員生活」。

こんなに簡単に「辞めれる」とは。

「変えれる」とは。

これからも我慢することだけはよくないことが分かった。

ダメだったら、辞めることができる。変えることができる。

そして、「人生やり直せる」。

もちろん、「人生やり直す」ということは、一から出直す、一から積み上げるということ。

しかもこの年で・・・でも50歳、60歳で、ゼロからやり直すことを考えると恐ろしすぎる。

いまならまだ、このくらいのボリュームの記事なら4時間あれば書ける!

ほんの少しのお金

数百万円という退職金を得た。

でも、その代わり、月50万円以上の固定給を失った。

莫大な時間

膨大な時間を得た。

会社員時代は、1日のうち、12時間は会社に使い。

7時間は睡眠に使い。

残り3、4時間をアルコールや娯楽でストレス発散していた。

土日もダラダラ過ごした。

土日にパソコン使うなんて発想もなかった。

膨大な時間をこんなことに使っていこうと思う・・・

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これからやりたいこと

せっかく毎日更新を始めたブログ。

この記事が69記事目。

5月いっぱいで、だいたい100記事。

そこまでは毎日更新を継続する。

でもそこまでで毎日更新はいったん終わり。

その後は、過去記事の書き直し。

検索エンジン対策。

このあたりをきちんと勉強。

それを少なくとも1週間は集中的にやろうと思っている。

少しでもいいから収益を上げたい。

でも焦らず。。

読んでくれる人のために質にこだわりたい。

そして、動画配信やライティングなどにも挑戦したい。

実は、動画配信は一度いじってみた。

自分で動画撮影して編集もしてみた。。

でも、PCがしょぼすぎて、書き出せず挫折・・・パソコンを購入したので、再挑戦する予定!

あとは、ライティング。

目先、ブログだけじゃ大した収益は得られないので、ブログをPRしながらライティングの仕事をしてみようと思う。

いずれにせよ、続けること、新たに始めること、走りながら軌道修正していく。

でも、17年会社員を継続したわたし、続けることだけは自信あり!

継続を武器にすることを選んでいく!

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最後に~いままで支えてくれたみなさんへ!~

直接、お礼を言うことができませんでした。

それだけが心残りです。

会社の人には教えていないこのブログでお礼を言います。

見られてないけど・・・

いままで多くの先輩の指導、助けがあってここまでやってこれました。

本当にありがとうございました。

そして、多くの後輩が、わたしのむちゃ振りについてきてくれました。

きっと色々と我慢し続けてくれたでしょう。

本当にありがとうございました。

全ての先輩、後輩のみなさんの支えなくして、ここまでくることはできませんでした。

それだけは間違いありません。

なんと、うれしいことに、キャリア終盤で一緒に仕事をした部下から、昨日、メールをもらいました。

個人的なやり取りなんで明かしませんが。

とても温かく、彼の人間味がにじみ出ていました。

ありがとう!

仕事に愚直に取り組み、後輩からも慕われる、好青年。

彼のような人間が上に立つことで、後輩が、気持ちよく仕事ができることを望みます。

最後になりますが、わたしを慕ってくれる人達とは、これからもプライベートな関係を続けていきたいと思っています。

よろしくお願いします。

それではみなさん!

本当にありがとうございました!

そして、さようなら!!!

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